父の愚痴。
久しぶりなのに、書きはじめたらひたすら父の愚痴になってしまった。。
この間父方の親戚の集まりに行ってきました。
お爺ちゃんお婆ちゃんのお祝いに、諏訪湖の近くの温泉旅館。
考えてみたら10年以上ぶりだった。
いとこのこどもはすごく大きくなってて、分からないくらい。
あのころに比べて、お父さんすっごく太ったから、みんなにびっくりされてた。
正直な話、父方の親戚には全然会いたくなかった。
父は数年前に病気して、家から出られなくなってそのまま退職した。
1年くらい娘の私たちにも詳しいことは教えてくれてなかった。
親戚にも何も言ってなかったって。
9月の頭にちょっとした事件があって、それをきっかけに家族の会話が増えた。
それまではお互いにあんまり干渉しないような関係。
ただ、その事件をきっかけにわたしは父に対してうんざりしてしまった。
父という威厳も、尊敬もない。
今まで父が私に父としてしてくれた事ってなんだろうか。
父が私を叱ったのはただの一度だけ。
小学2年生の時に友達に誘われて小学校の近くの文房具屋に行った。
人生で初めての友達との買い物だった。
当時、私の家の勉強机の上に貯金箱が置いてあった。
貯金箱と言ってもお菓子のカンカンの空箱で誰でも簡単に開けられる。
というより、ふたなんてしてなかったんじゃないかな。
初めての買い物にわくわくしていた私は、お母さんの話もよく聞かずにその貯金箱の中から小銭をつかみとった。
その、手のひらいっぱいの小銭を握りしめて文房具屋さんで大量の鉛筆やら、消しゴムやら、シールを買った。
誰かが「わー、お金足りないー!5円と50円交換してー!」って言った。
たまたま手に50円持ってた。
「いいよー」
って言って、交換した。
お金の価値なんて全然分かってなかった。
誰かが見てたのか、お店の人が報告したのかは分からないけど、もちろんその出来事は発覚して、お母さんにすごく叱られた。
お母さんは、なんでそんなにお金を不必要に使っちゃいけないのか、私がそんな風にお金を交換したことで、ほかの子にどんな影響があるのか、ちゃんと説明しながら叱った。
その事件の夜、お父さんは確かゲームしてた。
お父さんはすごくゲーマーで、今でこそあんまりやらないけど、当時は毎日のようにスーファミやってた。
ゲームしてるところ、お母さんに言われてやっと腰をあげて、私の事叱った。
ずいぶん昔の事だから本当にそうだったのか分からないけど、私の目を見ながら叱ったのはこの一度きりなんじゃないかなと思ってる。
元々、人と話すのが得意じゃないから、友達連れてっても絶対に部屋から出てこなかったし。
父親のこういう性格受け継いでしまって本当に損してる。
どうしても父親に対して愛情がわかないみたい。
人には言えない様な気持ちをもってしまう時がある。
病気なのは仕方ないって思うけど、じゃあこのままずっと、仕方ないのかな。
家を出たいと思うけど、お母さん残していけない。
100から1を
ブログ書こうとすると手がとまるー
毎日書かなきゃ何も変わらないのにー
書きたいことはいろいろあるけど、どこまで書いたらいいかなーとか、いろいろ考えてたらすすまないよー
ルー・リードが亡くなった。
周りの人、みんな衝撃受けてる。悲しんでる。
いろんな人がルー・リードの影響受けてるけど、私はよく知らない。
むしろ、昨日はじめてルー・リードがヴェルヴェットアンダーグラウンドの人で「ワイルドサイドを歩け」がルー・リードの曲だっていうの、認識した。
昨日今日の二日間はずーっと動画サイトで、ルー・リードの音源まとめプレイリスト聴いてる。
ヴェルヴェットはバナナのジャケットのアルバムを聴いたことあったけど、やっぱり周りの批評とかそういう情報入ってたからかあんまりよく分からなかった。
1曲目の「Sunday Morning」はイントロがきれいだから好きだけど。
ルー・リードのソロの方が聴きやすくて好きかもなーと思った。
「Vicious」の右の方から聞こえてくるなんか弾いてるような音ってなんなんだろう。
いつも、亡くなった後にその人の事を意識する。
生きてる時から知ってたら、もしかしたらその人に会えたかもしれないのにね。
自分を足を運んだりして。
だから、そういう状態ってすごくもったいないのかもしれない。
でもいなくならなかったらその人の存在にすら気づかないかもしれない。
っていうか多分気づいてない。
A Walk On The Wild Side - YouTube
このサックスの音色も知らずにいたんだろうなー。
ルー・リードさんが生み出した曲に影響を受けて、また曲が生まれる。
輪廻ってこういうことかな。
ゼロからものをつくり出す人より、100のものを1つにする方がアジがある。
って誰かが言ってた。
おしゃべりが苦手な私は、日常生活の小話すらないのだから、積極的に集めにいかないとなー
鮪に鰯
『生活の柄』っていう曲が好き。
ずっと、高田渡の曲だと思ってた。
歩き疲れた浮浪者が、隙間みつけて寝たんだけどねむれないよー!
この生活の柄が夏向きなのか、秋からは寒くてねむれないよー!
っていう単純な曲なんだけど、なんでこんなに長い間いろんな人が歌い続けているんだろう。
やっぱりメロディーなのかな。
耳に残るし、一緒に口ずさみたくなっちゃう。
あ〜るき〜(あ〜るき〜)疲れ〜ては〜(疲れ〜ては〜♪)
って。
シンプルだし、うたいやすいー。
いろんな人のカバー聴き比べるのも面白い。いろんなアレンジの仕方があって。
私は大工哲弘さんていうシンガーのカバーがすごく好き!(”シンガー”って言っていいのか分からないけど。)
大工さんはそもそもこの曲を知るきっかけになった人。八重山民謡なんかを歌ってる人で独特の唄声してる。
大工さんVerには『たま』が参加してて、追っかけの部分をみんなで歌ってたりしてすごく賑やかになってる。
眠れないのです。って言ってるけど、言うほど大して気にしてないようなのんきな曲だなーって思った。
浮浪者だけどまぁいっかって、決まった寝床はないけどまぁいっかって、のーんびり毎日をただ生きてる人。
唯一の悩みは寝付けない事。揺り起こされたり、寒くて眠れない事。
他は何にも縛られずに、自由に生きてる。
歌詞をみながら聴きながら、そんな主人公を想像する。
他にも高田渡の『ごあいさつ』ってアルバムには、世の中の暗い部分をちょっと軽いジョークを交えて唄う曲たちがあって面白いんだー。
聴けば聴くほど味わいが出てくるというか。
メロディーも歌詞も、全然遠回しじゃないから、とっつきやすいのかなー。
高田さんのうたが魅力って言うのが一番だけど。
先日偶然知り合いにCDを借りた。
先に書いた大工さんが好きだーと言ったら貸してくれた。
山之口貘という詩人の詩を唄にしたものを集めたアルバム。
これ聴いてはじめて生活の柄の作詞が高田さんじゃない事知った。
『鮪の鰯』っていう曲があるんだけど、なんとなく流しで聴いてて面白い曲だなーって思ってた。
それも山之口さんだった。
高田さんの好きな詩人だから、すごく気になってる。
詩を読むのは、これからね。
ところで『鮪の鰯』の曲の事なんだけど、三拍子の、アコーディオンが後ろでなっているようなちょっとかわいらしい曲調で
鮪の刺身を食いたくなったと 人間みたいな事を女房が言った
女房はぷいと横に向いてしまったのだが
亭主も女房も互いに鮪なのであって
地球の上はみんな鮪なのだ
ってあって、
後半には”ビキニが〜”っていう亭主の言葉とそれにたいして女房が怒ってる感じの歌詞で、今までずーっと、女房はマグロだし、もう歳も若くない。たまに亭主がふざけて若いこのビキニの話したりして、女房にお叱りをくらう。そんなちょっとほんわかした生活の一部をさらっと唄ってるんだなーって思ってた。
”鮪”と”マグロ”をかけて、そんな事まで唄っちゃっていーんだなー、面白いなーとか思ってた。
でも全然違った。
マグロの刺身を食いたくなったと
人間みたいな事を女房が言った
言われてみるとついぼくも人間めいて
マグロの刺身を夢見かけるのだが
新でもよければ勝手に食えと
僕は腹立ちまぎれに言ったのだ
女房はぷいと横にむいてしまったのだが
亭主も女房も互いに鮪なのであって
地球の上はみんな鮪なのだ
鮪は原爆を憎み
水爆にはまた脅かされて
腹立ちまぎれに現代を生きているのだ
ある日ぼくは食膳をのぞいて
ビキニの灰をかぶっていると言った
女房は箸を逆さに持ちかえると
焦げた鰯のその頭をこづいて
火鉢の灰だとつぶやいたのだ
こんな歌詞。
”鮪”はほんとに魚の鮪で、”マグロ”の要素なんてこれっぽっちもなかった…!
”ビキニ”は若い女の子の水着の事じゃなくて、ビキニ環礁の”ビキニ”だった…!
不謹慎だー!って怒られそう。
思い込みとは怖い事ですね。
っていうかこの事実、ほんとこの記事書いてる最中に気づいたんだよ。
のんきなのは浮浪者でも山之口さんでもなく、私の方だった。
言葉にするのは大変だー
わーいわーい!
ミカサさんがスターくれた!
一回プラネタリウムでこんな感じの映像観たんだけどすごい面白かった。宇宙旅してるみたいで。
最後に地球に帰ってくる瞬間なんて、ほんと地球ちっちゃーと思うよね。
これ見てたら何書こうとしたか忘れた。
なんで生きてるんだろうーっていうのは何度も考えた事あるんだけど、生きてるのに意味はないっていうのに落ち着いてる。今のところ。
生きてることの意味を知るなんて、死んでからじゃないかな。
だから、生きてるから、できる限りいろんなことを知ったりやったりしたいなって思った。
その方がお得かなって。
今いる自分のいる環境に、文化にふけてる人がたくさんいる。
いろんな音楽とか、映画とか、本とか知ってる人がたくさん。
そういう人たちと関わるのは面白いし、楽しいんだけど、どうしてもなじみ切れない。
自分が無知だから。
みんなが「この音楽いいよねー」って言ってても、大体の場合分からない。
良さが分からないというよりは、
みんなが良いって言ってるのに、わからなかったらどうしよう…
っていう、前回にも書いたような気にしすぎが原因なんだろうなって思うけど。
あと、感想言わなきゃ!って思いに駆られるのもあるかも。
でも変な事言って相手を不快にさせたらやだなーとか。
そういう、余計な事気にして一番肝心の作品と向き合えてない。
今書いてて気づいたけど”相手を不快にさせない言葉”をずっと探してたのかも。
それじゃあいつまでたっても作品の良さなんてわかんないよね。あぁ、自己完結。
信者は自分が選んだ道だから、その道に価値をみいだすんだよ。
教祖からいーものを教わった、ってとこに価値をみいだしてるわけじゃないから。
感動っていうのは、その感情を抱く人が自分で抱くから、その感動に価値を感じる。
「こー感動しなさい」って用意された感動は、大量生産の安物の価値しかないから。
感情を用意して、それを差し出してこないで、って、いろんな時に思うよねー。
いつもちょうどいいタイミングでほしいコトバがとびこんでくるよミカサさん。
自分が勝手に、用意されてる感情があると思って、これに自分の感情をあてはめようとするから、いつも苦しくなるんだなって思った。
でも少しでも共有したいなって、輪の中に入りたいなって思う。
みんなが共有してる気持ち、一人だけ分からないのは寂しいなってなる。
そういうの全部、自分の頭が足りないからだよなーって思う。
人に自分の感情任せちゃうから。
だからここで、自分の言葉にする練習。
練習。。。。
「気にしすぎ~」
自分の思ったことを口に出すのが怖いと思い始めたのはいつからだろう。
小さいころから人見知りだったから、もうずっとそうだったのかもしれない。
それが積み重なって、なんだか息苦しさを感じながら過ごしてた。
けどそんなときに「ひきこもり女子いろいろえっち」このブログ見つけた。
私も、自分はなんでこんなにバカなんだろーって思いながら過ごしてる。
ミカサさん(id:luvlife)の文章、すごくわかりやすくて面白い。もともとすごく賢い頭を持ってるんだろうなあって思う。
だから、ブログ始めたからって私もミカサさんと同じように素敵な文章を書けるとは限らないけど、何もしないよりはましかなって。
ミカサさんの最初の方の記事に「練習」って書いてあって、そっかー練習ではじめればいいんだなーって思った。
最初に書いた、自分の思ったこと口にするのこわいーっていうのを、なんでだろう?ってずっと考えてた。
ら、この間好きな人に「気にしすぎ~」って言われたこと思い出した。
好きな人(なんかいろんなことできるからマルチさんにする)とは付き合ってるわけじゃないけど、もうかれこれ2年以上付き合ってる、みたいな関係でいる。
わけあって周りに公にはできないんだけど、夜マルチさんの家に泊まりに行ったり、数えるくらいしかないけど休みがあった日に遊んだり、基本的にマルチさんと二人でいれるのはマルチさんの家っていうこっそりとした関係。
周りの人間関係とかもあって、何度も会うのやめようとしたけど、むりー。
でもこの間はじめてマルチさんの方から「もう会うのやめよー」って、一方的に切られた事があって、初めて1か月くらい二人きりで会わない期間が続いた。もうそのまま元に戻れないと思ってた。
でも、マルチさんから連絡きて仲直りしたの。
マルチさんは正直モテる。それからはじめて会った時から知ってたことだけど、女の子大好き。
だから私とこんな関係になった時、嬉しかったけど不安とか寂しさとか、ずっとあった。ほかの女の子ともこーいう事してるのかなーとか。
いろいろ思いめぐらせたりして落ち込んだりしてたんだけど、付き合いが長くなるにつれてマルチさんてほんとに私の事好きでいてくれてるのかもーと思うようになってった。
もともと私は好きな人に依存しすぎちゃって嫉妬心とか強い。うまくコントロールできない。嫉妬とかしない寛容な人とか、すごいなーってうらやましいなーって思う。
でもマルチさんの事なんとなく信じられるようになってきたし、私は私の生活あるしーって事に気づいて、少しずつそういう気持ちに向き合えるようになってきたと思うんだよねー。
ただ久しぶりにマルチさんの家に泊まりに行ったときの事。
毎回お風呂に入るときにずっとバスタオルと体洗う用のタオルの2枚借りてた。もう把握してくれてて、何もきかずに出してくれてたんだー。なのに1か月くらいぶりに行ったら「タオル何枚いるー?」って言われたの。
すごく些細な事だし、こいつめんどくせぇ!って思われそうだけど、
(あぁ、この1か月の間に他の女の子がこの家にきてこんな風にお風呂かりて、えっちな事してたのかな~)
って思ったらすごく嫉妬してしまった。
ちょっと前にも、女の子と二人で遊んでたみたいな話をちょっと聞いたりしたのもあったし。
2年近くそういうやりとりしてたのに、1か月くらい間が空いたくらいで習慣だったようなもの、忘れられちゃうのかなーって哀しくなった。この間にタオルを3枚借りてた女の子が遊びに来てたのかなーとか深追いしちゃった。
だから思わず「もう会うのやめよー」って言った。
そしたらマルチさんはもちろん「なんで?」って聞いてきた。
こういう時に自分の思ってること相手に伝えること、ただでさえ苦手。自分でもばかばかしいと思ってるから尚更言いづらかった。だけど、正直に伝えた。
そしたら、「気にしすぎ~」ってすごいやさしい口調で抱きしめてくれた。
なんか何気ない一言だけど、その一言が今までの全部を取り払ってくれたみたいだった。
ほんとに、私はどうでもいいことをいちいち気にしすぎてるのかもしれない。
例えばの話。
小学1年生のころ、公園の遊具に関しての作文を書くことになった。
作文といっても、表にその遊具の絵を描いて、裏に遊具の説明を書く感じ。
私は「鉄棒」を選んだ。(選んだのか指定されたのかはもう覚えてないー)
鉄棒の説明を書くときに、すごく迷った。
『さかあがりしたりできます』
って書きたかった。
当時一番仲の良かった女の子が鉄棒、苦手だった。
その女の子は逆上がりできなかった。
「鉄棒は逆上がりできるけど、○○ちゃん逆上がりできない…これ書いたら○○ちゃん、私できないのに、って傷つくかも…どうしよう。なんて書こう…!」
この事ばっかりぐるぐる考えて、次の事とか書けなくて、授業内に終わらなくて、人生で初めて学校で泣いてしまった出来事だった。
家に帰って、お母さんに話した。そしたら気にしすぎだよって。
「鉄棒の説明に○○ちゃんは関係ないんじゃないー?」って。
なんか他にも言われたと思うんだけどわすれちゃった。
ただ、当時妹を身ごもっていたお母さんにそういう話を打ち明けられた事と、お母さんがアドバイスくれたことに満足した。
翌日は昨日一切鉛筆がすすまなかったのがウソみたいにスラスラ書けた。
内容がどうのっていうのはまた別の話だよー、小学生だったから、許して。
ちょっとしたこと気にしすぎて何もできなくなるっていうの、今でもある。結構困る。
このブログ書くのも、なかなか文章かくのすすまない。
これで伝わるのかなーとか、ばかじゃない?って思われるかなーとか、あぁ薄っぺらいなあとか…
人に読まれないとわからないよねー。
だから、そういうの克服したいなーと思ってブログ書くことにしました。
ミカサさんみたいに、自分の思ったことちゃんと言えるようになりますよーに。
このひとつ書くのに6時間くらいかかってる…